られた墓地の台帳ともいうべきものがある。しかし一応それを検した所では、嶺松寺という寺は載せてないらしかった。その廃絶に関しては、何事をも知ることが出来ぬのである。警視庁は廃寺等のために墓碣《ぼけつ》を搬出するときには警官を立ち会わせる。しかしそれは有縁《うえん》のものに限るので、無縁のものはどこの共同墓地に改葬したということを届け出《い》でさせるに止《とど》まるそうである。
そうして見れば、嶺松寺の廃せられた時、境内の無縁の墓が染井共同墓地に遷《うつ》されたというのは、遷したという一紙の届書《とどけしょ》が官庁に呈せられたに過ぎぬかも知れない。所詮《しょせん》今になって戴曼公《たいまんこう》の表石や池田氏の墓碣の踪迹《そうせき》を発見することは出来ぬであろう。わたくしは念を捜索に絶つより外あるまい。
とかくするうちに、わたくしが池田|京水《けいすい》の墓を捜し求めているということ、池田氏の墓のあった嶺松寺が廃絶したということなどが『東京朝日新聞』の雑報に出た。これはわたくしが先輩知友に書を寄せて問うたのを聞き知ったものであろう。雑報の掲げられた日の夕方、無名の人がわたくしに電話を掛
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