歳の時だというから、恐らくは迷庵を喪《うしな》って※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎に適《ゆ》いたのであろう。迷庵の六十二歳で亡くなった文政九年八月十四日は、抽斎が二十二歳、※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎が五十二歳になっていた年である。迷庵も※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎も古書を集めたが、※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎は古銭をも集めた。漢代《かんだい》の五物《ごぶつ》を蔵して六漢道人《ろっかんどうじん》と号したので、人が一物《いちぶつ》足らぬではないかと詰《なじ》った時、今一つは漢学だと答えたという話がある。抽斎も古書や「古武鑑」を蔵していたばかりでなく、やはり古銭癖《こせんへき》があったそうである。
迷庵と※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎とは、年歯《ねんし》を以《もっ》て論ずれば、彼が兄、此《これ》が弟であるが、考証学の学統から見ると、※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎が先で、迷庵が後《のち》である。そしてこの二人の通称がどちらも三右衛門であった。世にこれを文政の六右衛門と称する。抽斎は六右衛門のどちらにも師
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