《ろうし》』を好んだので、抽斎も同嗜《どうし》の人となった。
 狩谷※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎、名は望之《ぼうし》、字《あざな》は卿雲《けいうん》、※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎はその号である。通称を三右衛門《さんえもん》という。家は湯島《ゆしま》にあった。今の一丁目である。※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎の家は津軽の用達《ようたし》で、津軽屋と称し、※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎は津軽家の禄千石を食《は》み、目見諸士《めみえしょし》の末席《ばっせき》に列せられていた。先祖は参河国《みかわのくに》苅屋《かりや》の人で、江戸に移ってから狩谷氏を称した。しかし※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎は狩谷|保古《ほうこ》の代にこの家に養子に来たもので、実父は高橋高敏《たかはしこうびん》、母は佐藤氏である。安永四年の生《うまれ》で、抽斎の母|縫《ぬい》と同年であったらしい。果してそうなら、抽斎の生れた時は三十一歳で、迷庵よりは十《とお》少《わか》かったのだろう。抽斎の※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎に師事したのは二十余
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