舌《じょうぜつ》することもなかった。しかし言動が快活なので、剽軽者《ひょうきんもの》として家人にも他人にも喜ばれたそうである。その人と成った後に、志操が堅固で、義務心に富んでいることは、長唄の師匠としての経歴に徴して知ることが出来る。
 牛込《うしごめ》の保さんの家と、その保さんを、父抽斎の継嗣たる故を以て、始終「兄《に》いさん」と呼んでいる本所の勝久さんの家との外に、現に東京には第三の渋江氏がある。即ち下渋谷の渋江氏である。
 下渋谷の家は脩の子終吉さんを当主としている。終吉は図案家で、大正三年に津田青楓《つだせいふう》さんの門人になった。大正五年に二十八歳である。終吉には二人《ににん》の弟がある。前年に明治薬学校の業を終えた忠三さんが二十一歳、末男さんが十五歳である。この三人の生母福島氏おさださんは静岡にいる。牛込のお松さんと同齢で、四十八歳である。



底本:「渋江抽斎」岩波文庫、岩波書店
   1940(昭和15)年8月16日第1刷発行
   1999(平成10)年5月17日改版第1刷発行
底本の親本:「鴎外選集 第6巻」岩波書店
   1979(昭和54)年8月23日第1刷
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