《のち》に、杵勝分派の団結を維持して行くには、一刻も早く除かなくてはならぬ障礙《しょうがい》がある。それは勝三郎の生前《しょうぜん》に、勝久らが百方調停したにもかかわらず、宥《ゆる》されずにしまった高足弟子《こうそくていし》勝四郎の勘気である。勝久は鎌倉にある間も、東京へ帰る途上でも、須臾《しゅゆ》もこれを忘れることが出来なかった。
 十三日の昧爽《まいそう》に、勝久は森田町の勝四郎が家へ手紙を遣った。「定めし御聞込《おんききこみ》の事とは存じ候《そうら》へども、杵屋|御《おん》家元様は御《ご》死去|被遊候《あそばされそろ》。夫《それ》に付《つき》私共は今日《こんにち》午後四時|御《ご》同所に相寄候事《あいよりそろこと》に御坐候。此《この》際|御《おん》前様御心底は奈何《いかが》に候|哉《や》。私存じ候には、同刻御自身の思召《おぼしめし》にて馬喰町へ御出被成候方宜敷《おんいでなされそろかたよろしく》候様存じ候。田原町《たわらちょう》へ一寸《ちょっと》御立寄被成候《おんたちよりなされそうろう》て御出被成度《おんいでなされたく》存じ候。さ候はゞ及ばずながら奈何様《いかよう》にも御《ご》都合
前へ 次へ
全446ページ中438ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング