を完成するに若《し》くはないと思って、師家と男名取らとの間に往来して調停に努力した。
 しかし勝三郎は遂に釈然たるに至らなかった。六月十六日に勝久が馬喰町の家元を訪《と》うて、重ねて勝四郎のために請う所があったとき、勝三郎は涙を流して怒《いか》り、「小母《おば》さんはどこまでこの病人に忤《さから》う気ですか」といった。勝久は此《ここ》に至って復《また》奈何《いかん》ともすることが出来なかった。
 六月二十五日の朝、勝三郎は霊岸島《れいがんじま》から舟に乗って房州へ立った。妻みつが同行した。即ち杵勝分派のものが女師匠と呼んでいる人である。見送の人々は勝三郎の姉ふさ、いそ、てる、勝久、勝ふみ、藤二郎《とうじろう》、それに師匠の家にいる兼《かね》さんという男、上総屋《かずさや》の親方、以上八人であった。勝三郎の姉ふさは後に、日本橋浜町一丁目に二世勝三郎の建てた隠居所に住んで、独身で暮しているので、杵勝分派に浜町の師匠と呼ばれている人である。
 この桟橋の別《わかれ》には何となく落寞《らくばく》の感があった。病み衰えた勝三郎は終《つい》に男名取総員の和熟を見るに及ばずして東京を去った。そしてそ
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