じろう》といった。金次郎は「己《おれ》は芸人なんぞにはならない」といって、学校にばかり通っていた。二世勝三郎は終《おわり》に臨んで子らに遺言《ゆいごん》し、勝久を小母《おば》と呼んで、後事《こうじ》を相談するが好《よ》いといったそうである。
二世勝三郎の馬喰町の家は、長女ふさに壻を迎えて継がせることになった。壻は新宿《しんじゅく》の岩松《いわまつ》というもので、養父の小字《おさなな》小三郎を襲ぎ、中村楼で名弘《なびろめ》の会を催した。いまだ幾《いくば》くならぬに、小三郎は養父の小字を名告《なの》ることを屑《いさぎよ》しとせず、三世勝三郎たらんことを欲した。しかし先代勝三郎の門人は杵勝同窓会を組織していて、技芸の小三郎より優れているものが多い。それゆえ襲名の事は輒《たやす》く認容せられなかった。小三郎は遂に葛藤《かっとう》を生じて離縁せられた。
是《ここ》において二世勝三郎の長男金次郎は、父の遺業を継がなくてはならぬことになった。金次郎は親戚《しんせき》と父の門人らとに強要せられて退学し、好まぬ三味線を手に取って、杵勝分派諸老輩の鞭策《べんさく》の下に、いやいやながら腕を磨《みが》い
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