く帰らぬがために物を食わなくなったのである。五百は女子中では棠《とう》を愛し、男子中では保を愛した。さきに弘前に留守をしていて、保を東京に遣《や》ったのは、意を決した上の事である。それゆえ能《よ》く年余《ねんよ》の久しきに堪えた。これに反して帰るべくして帰らざる保を日ごとに待つことは、五百の難《かた》んずる所であった。この時五百は六十八歳、保は二十七歳であった。
その百五
この年十二月二日に優《ゆたか》が本所相生町の家に歿した。優は職を罷《や》める時から心臓に故障があって、東京に還って清川玄道《きよかわげんどう》の治療を受けていたが、屋内に静坐していれば別に苦悩もなかった。歿する日には朝から物を書いていて、午頃《ひるごろ》「ああ草臥《くたび》れた」といって仰臥《ぎょうが》したが、それきり起《た》たなかった。岡西氏|徳《とく》の生んだ、抽斎の次男は此《かく》の如くにして世を去ったのである。優は四十九歳になっていた。子はない。遺骸は感応寺に葬られた。
優は蕩子《とうし》であった。しかし後《のち》に身を吏籍に置いてからは、微官におったにもかかわらず、頗《すこぶ》る材能《さいのう
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