八日に和三郎《わさぶろう》寧親《やすちか》が支封から入《い》って宗家を継いだ。後に越中守と称した人である。寧親は時に二十七歳で、允成は一つ上の二十八歳である。允成は寧親にも親昵《しんじつ》して、殆《ほとん》ど兄弟《けいてい》の如くに遇せられた。平生《へいぜい》着丈《きだけ》四尺の衣《い》を著《き》て、体重が二十貫目あったというから、その堂々たる相貌《そうぼう》が思い遣られる。
当時津軽家に静江《しずえ》という女小姓《おんなごしょう》が勤めていた。それが年老いての後に剃髪して妙了尼《みょうりょうに》と号した。妙了尼が渋江家に寄寓《きぐう》していた頃、可笑《おか》しい話をした。それは允成が公退した跡になると、女中たちが争ってその茶碗《ちゃわん》の底の余瀝《よれき》を指に承《う》けて舐《ねぶ》るので、自分も舐ったというのである。
しかし允成は謹厳な人で、女色《じょしょく》などは顧みなかった。最初の妻田中氏は寛政元年八月二十二日に娶《めと》ったが、これには子がなくて、翌年四月十三日に亡くなった。次に寛政三年六月四日に、寄合《よりあい》戸田政五郎《とだまさごろう》家来|納戸役《なんどやく》金
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