三日に松本町の家に著《つ》いた。この時保と脩とは再び東京にあって母の膝下《しっか》に侍することを得たが、独り矢島|優《ゆたか》のみは母の到著するを待つことが出来ずに北海道へ旅立った。十月八日に開拓使御用|掛《がかり》を拝命して、札幌に在勤することとなったからである。
 陸《くが》は母と保との浜松へ往った後《のち》も、亀沢町の家で長唄の師匠をしていた。この家には兵庫屋から帰った水木《みき》が同居していた。勝久は水木の夫であった畑中藤次郎《はたなかとうじろう》を頼もしくないと見定めて、まだ脩が浜松に往かぬ先に相談して、水木を手元へ連れ戻したのである。
 保らは浜松から東京に来た時、二人の同行者があった。一人は山田要蔵、一人は中西常武《なかにしつねたけ》である。
 山田は遠江国《とおとうみのくに》敷智郡《ふちごおり》都築《つづき》の人である。父を喜平といって、畳問屋《たたみどいや》である。その三男要蔵は元治《げんじ》元年|生《うまれ》の青年で、渋江の家から浜松中学校に通い、卒業して東京に来たのである。時に年十六であった。中西は伊勢国|度会郡《わたらいごおり》山田|岩淵町《いわぶちちょう》の人
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