三池《みいけ》に出張していた。

   その九十九

 保は母五百を奉じて浜松に著《つ》いて、初め暫《しばら》くのほどは旅店にいた。次で母子の下宿料月額六円を払って、下垂町《しもたれちょう》の郷宿《ごうやど》山田屋|和三郎《わさぶろう》方にいることになった。郷宿とは藩政時代に訴訟などのために村民が城下に出た時|舎《やど》る家をいうのである。また諸国を遊歴する書画家等の滞留するものも、大抵この郷宿にいた。山田屋は大きい家で、庭に肉桂《にっけい》の大木がある。今もなお儼存《げんそん》しているそうである。
 山田屋の向いに山喜《やまき》という居酒屋がある。保は山田屋に移った初《はじめ》に、山喜の店に大皿《おおざら》に蒲焼《かばやき》の盛ってあるのを見て五百に「あれを買って見ましょうか」といった。
「贅沢《ぜいたく》をお言いでない。鰻《うなぎ》はこの土地でも高かろう」といって、五百は止めようとした。
「まあ、聞いて見ましょう」といって、保は出て行った。価《あたい》を問えば、一銭に五串《いつくし》であった。当時浜松辺で暮しの立ちやすかったことは、これに由《よ》って想見することが出来る。
 保は初
前へ 次へ
全446ページ中373ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング