明治七年である。五百の眼病が荏苒《じんぜん》として治《ち》せぬので、矢島周禎の外に安藤某を延《ひ》いて療せしめ、数月《すうげつ》にして治することを得た。
 水木《みき》はこの年深川|佐賀町《さがちょう》の洋品商|兵庫屋藤次郎《ひょうごやとうじろう》に再嫁した。二十二歳の時である。
 妙了尼はこの年九十四歳を以て韮山《にらやま》に歿した。
 渋江氏ではこの年|感応寺《かんのうじ》において抽斎のために法要を営んだ。五百、保、矢島|優《ゆたか》、陸《くが》、水木、比良野|貞固《さだかた》、飯田|良政《よしまさ》らが来会した。
 渋江氏の秩禄公債証書はこの年に交付せられたが、削減を経た禄を一石九十五銭の割を以て換算した金高《きんだか》は、固《もと》より言うに足らぬ小額であった。
 抽斎歿後の第十七年は明治八年である。一月《いちげつ》二十九日に保は十九歳で師範学校の業を卒《お》え、二月六日に文部省の命を受けて浜松県に赴くこととなり、母を奉じて東京を発した。
 五百、保の母子が立った後《のち》、山田脩は亀沢町の陸の許《もと》に移った。水木はなお深川佐賀町にいた。矢島|優《ゆたか》はこの頃家を畳んで
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