せいのげんこうおよびじがくいがくのしょせつをろくし》、別為小冊子《べつにしょうさっしとなす》」といっている。わたくしはその書の存否を審《つまびらか》にしない。寛斎は初め伊沢氏かえの生んだ池田全安の女《むすめ》梅を娶《めと》ったが、後これを離別して、陸奥国《むつのくに》磐城平《いわきだいら》の城主安藤家の臣後藤氏の女《じょ》いつを後妻に納《い》れた。いつは二子を生んだ。長男|俊太郎《しゅんたろう》さんは、今|本郷西片町《ほんごうにしかたまち》に住んで、陸軍省人事局補任課に奉職している。次男|篤次郎《とくじろう》さんは風間《かざま》氏を冒して、小石川宮下町《こいしかわみやしたちょう》に住んでいる。篤次郎さんは海軍機関大佐である。
 陸《くが》はこの年矢川文一郎と分離して、砂糖店《さとうみせ》を閉じた。生計意の如くならざるがためであっただろう。文一郎が三十三歳、陸が二十七歳の時である。
 次で陸は本所《ほんじょ》亀沢町《かめざわちょう》に看板を懸けて杵屋勝久《きねやかつひさ》と称し、長唄《ながうた》の師匠をすることになった。
 矢島周禎の一族もまたこの年に東京に遷《うつ》った。周禎は霊岸島《
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