た》とが反対した。その主《おも》なる理由は、もし退学処分を受けて、氏名を文部省雑誌に載せられたら、拭《ぬぐ》うべからざる汚点を履歴の上に印するだろうというにあった。
 十月十九日に保は隠忍して師範学校の寄宿舎に入《い》った。

   その九十八

 矢島|優《ゆたか》はこの年八月二十七日に少属《しょうさかん》に陞《のぼ》ったが、次で十二月二十七日には同官等を以て工部省に転じ、鉱山に関する事務を取り扱うことになり、芝琴平町《しばことひらちょう》に来《きた》り住した。優の家にいた岡寛斎も、優に推挙せられて工部省の雇員になった。寛斎は後《のち》明治十七年十月十九日に歿した。天保十年|生《うまれ》であるから、四十六歳を以て終ったのである。寛斎は生れて姿貌《しぼう》があったが、痘を病んで容《かたち》を毀《やぶ》られた。医学館に学び、また抽斎、枳園《きえん》の門下におった。寛斎は枳園が寿蔵碑の後《のち》に書して、「余少時曾在先生之門《よわかいときかつてせんせいのもんにあり》、能知其為人《よくそのひととなりと》、且学之広博《がくのこうはくをしる》、因窃録先生之言行及字学医学之諸説《よりてひそかにせん
前へ 次へ
全446ページ中369ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング