いた。そこへ遽《にわか》に三人の客を迎えなくてはならなくなった。それが余《よ》の人ならば、宿料《しゅくりょう》を取ることも出来よう。貞固は己《おのれ》が主人となっては、人に銭を使わせたことがないのである。保はどうしても四人前の費用を弁ぜなくてはならない。これが苦労の一つである。またこの界隈《かいわい》ではまだ糸鬢奴《いとびんやっこ》のお留守居《るすい》を見識《みし》っている人が多い。それを横網町の下宿に舎《やど》らせるのが気の毒でならない。これが保の苦労の二つである。
 保はこれを忍んで数カ月間三人を※[#「肄」の「聿」に代えて「欠」、第3水準1−86−31]待《かんたい》した。そして殆ど日々《にちにち》貞固を横山町の尾張屋に連れて往って馳走《ちそう》した。貞固は養子房之助の弘前から来るまで、保の下宿にいて、房之助が著いた時、一しょに本所緑町に家を借りて移った。丁度保が母親を故郷から迎える頃の事である。
 矢川文内もこの年に東京に来た。浅越玄隆も来た。矢川は質店《しちみせ》を開いたが成功しなかった。浅越は名を隆《りゅう》と更《あらた》めて、あるいは東京府の吏となり、あるいは本所区役所の
前へ 次へ
全446ページ中363ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング