七年三月十二日に江戸で津軽|越中守《えっちゅうのかみ》信政《のぶまさ》に召し抱えられて、擬作金《ぎさくきん》三枚十人扶持を受けた。元禄十七年は宝永《ほうえい》と改元せられた年である。師道三は故土佐守|信義《のぶよし》の五女を娶《めと》って、信政の姉壻になっていたのである。辰盛は宝永三年に信政に随《したが》って津軽に往き、四年正月二十八日に知行《ちぎょう》二百石になり、宝永七年には二度日、正徳二年には三度目に入国して、正徳二年七月二十八日に禄を加増せられて三百石になり、外に十人扶持を給せられた。この時は信政が宝永七年に卒したので、津軽家は土佐守|信寿《のぶしげ》の世になっていた。辰盛は享保《きょうほう》十四年九月十九日に致仕して、十七年に歿した。出羽守《でわのかみ》信著《のぶあき》の家を嗣《つ》いだ翌年に歿したのである。辰盛の生年は寛文二年だから、年を享《う》くること七十一歳である。この人は三男で他家に仕えたのに、その父母は宗家から来て奉養を受けていたそうである。
 辰盛は兄重光の二男|輔之《ほし》を下野から迎え、養子として玄瑳《げんさ》と称《とな》えさせ、これに医学を授けた。即《すなわ
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