た邸をあずかっていて、住宅は本所|割下水《わりげすい》にあったのである。その外東京には五百の姉安が両国|薬研堀《やげんぼり》に住んでいた。安の女《むすめ》二人《ふたり》のうち、敬《けい》は猿若町三丁目の芝居茶屋三河屋に、銓《せん》は蔵前須賀町の呉服屋|桝屋《ますや》儀兵衛の許《もと》にいた。また専六と成善との兄|優善《やすよし》は、ほど遠からぬ浦和にいた。
 成善の旧師には多紀|安琢《あんたく》が矢の倉におり、海保|竹逕《ちくけい》がお玉が池にいた。維新の初《はじめ》に官吏になって、この邸を伊沢鉄三郎の徳安が手から買い受けて、練塀小路《ねりべいこうじ》の湿地にあった、床《ゆか》の低い、畳の腐った家から移り住んだ。独《ひとり》家宅が改まったのみではない。常に弊衣を著《き》ていた竹逕が、その頃から絹布《けんぷ》を被《き》るようになった。しかし幾《いくばく》もなく、当時の有力者山内|豊信《とよしげ》等の斥《しりぞ》くる所となって官を罷《や》めた。成善は四月二十二日に再び竹逕の門に入《い》ったが、竹逕は前年に会陰《えいん》に膿瘍《のうよう》を発したために、やや衰弱していた。成善は久しぶりにその
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