からである。何故《なにゆえ》というに、もし成善が母と倶《とも》に往こうといったなら、藩は放ち遣ることを聴《ゆる》さなかったであろう。
成善は母に約するに、他日東京に迎え取るべきことを以てした。しかし藩の必ずこれを阻格《そかく》すべきことは、母子皆これを知っていた。約《つづ》めて言えば、弘前を去る成善には母を質《ち》とするに似た恨《うらみ》があった。
藩が脱籍者の輩出せんことを恐るるに至ったのは、二、三の忌むべき実例があったからである。その首《しゅ》におるものは、彼《か》の勘定奉行を罷《や》めて米穀商となった平川半治である。当時|此《かく》の如く財利のために士籍を遁《のが》れようとする気風があったことは、渋江氏もまた親しくこれを験することを得た。或人は五百《いお》に説いて、東京両国の中村楼を買わせようとした。今千両の金を投じて買って置いたなら、他日|鉅万《きょまん》の富《とみ》を致すことが出来ようといったのである。或人は東京神田|須田町《すだちょう》の某売薬株を買わせようとした。この株は今廉価を以て贖《あがな》うことが出来て、即日から月収三百両|乃至《ないし》五百両の利があるといった
前へ
次へ
全446ページ中341ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング