は、単に幼くして家督したために、平士《へいし》にせられている。いわんや成善は分明《ぶんめい》に儒職にさえ就いているのである。成善がこの令を己《おのれ》に適用せられようと思わなかったのも無理はない。
 しかし成善は念のために大参事|西館孤清《にしだてこせい》、少参事兼大隊長加藤|武彦《たけひこ》の二人《ににん》を見て意見を叩《たた》いた。二人皆成善は医として視《み》るべきものでないといった。武彦は前《さき》の側用人《そばようにん》兼用人|清兵衛《せいべえ》の子である。何ぞ料《はか》らん、成善は医者と看做《みな》されて降等に逢い、三十俵の禄を受くることとなり、あまつさえ士籍の外《ほか》にありなどとさえいわれたのである。成善は抗告を試みたが、何の功をも奏せなかった。

   その八十八

 何故《なにゆえ》に儒を以て仕えている成善に、医者降等の令を適用したかというに、それは想像するに難くはない。渋江氏は世《よよ》儒を兼ねて、命を受けて経《けい》を講じてはいたが、家は本《もと》医道の家である。成善に至っても、幼い時から多紀安琢の門に入《い》っていた。また已《すで》に弘前に来た後《のち》も、医官
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