きやま》を指《ゆびさ》して、あれが津軽富士で、あの麓《ふもと》が弘前の城下だと教えた時、五百らは覚えず涙を翻《こぼ》して喜んだそうである。
弘前に入《い》ってから、五百らは土手町《どてまち》の古着商伊勢屋の家に、藩から一人《いちにん》一日《いちじつ》金|一分《いちぶ》の為向《しむけ》を受けて、下宿することになり、そこに半年余りいた。船廻しにした荷物は、ほど経て後《のち》に着いた。下宿屋から街《ちまた》に出《い》づれば、土地の人が江戸子《えどこ》々々々と呼びつつ跡に附いて来る。当時|髻《もとどり》を麻糸で結《ゆ》い、地織木綿《じおりもめん》の衣服を著《き》た弘前の人々の中へ、江戸|育《そだち》の五百らが交《まじ》ったのだから、物珍らしく思われたのも怪《あやし》むに足りない。殊《こと》に成善《しげよし》が江戸でもまだ少かった蝙蝠傘《かわほりがさ》を差して出ると、看《み》るものが堵《と》の如くであった。成善は蝙蝠傘と、懐中時計とを持っていた。時計は識《し》らぬ人さえ紹介を求めて見に来るので、数日のうちに弄《いじ》り毀《こわ》されてしまった。
成善は近習小姓の職があるので、毎日|登城《とじ
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