、三月、七月の三種がある。柏軒は正月のにはまだ奥詰の部に出ていて、三月以下のには奥医師の部に出ている。柴田は三書共にこれを載せない。維新後にこの人は狂言作者になって竹柴寿作《たけしばじゅさく》と称し、五世|坂東彦三郎《ばんどうひこさぶろう》と親しかったということである。なお尋ねて見たいものである。
陣幕久五郎の負《まけ》は当時人の意料《いりょう》の外《ほか》に出た出来事である。抽斎は角觝《かくてい》を好まなかった。然るに保さんは穉《おさな》い時からこれを看《み》ることを喜んで、この年の春場所をも、初日から五日目まで一日も闕《か》かさずに見舞った。さてその六日目が伊沢の祝宴であった。子《ね》の刻を過ぎてから、保さんは母と姉とに連れられて伊沢の家を出て帰り掛かった。途中で若党清助が迎えて、保さんに「陣幕が負けました」と耳語《じご》した。
「虚言《うそ》を衝《つ》け」と、保さんは叱《しっ》した。取組は前から知っていて、小柳《やなぎ》が陣幕の敵でないことを固く信じていたのである。
「いいえ、本当です」と、清助はいった。清助の言《こと》は事実であった。陣幕は小柳に負けた。そして小柳はこの勝の故
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