。この度の事については、命乞《いのちごい》の仲裁なら決して聴くまいと決心していたが、晴がましい死様《しにざま》をさせるには及ばぬというお考は道理至極である。然らばその起請文を書いて金毘羅に納めることは、姉上にお任せするといった。

   その七十五

 五百《いお》は矢島|優善《やすよし》に起請文を書かせた。そしてそれを持って虎《とら》の門《もん》の金毘羅へ納めに往った。しかし起請文は納めずに、優善が行末《ゆくすえ》の事を祈念して帰った。
 小野氏ではこの年十二月十二日に、隠居|令図《れいと》が八十歳で歿した。五年|前《ぜん》に致仕して富穀《ふこく》に家を継がせていたのである。小野氏の財産は令図の貯《たくわ》えたのが一万両を超えていたそうである。
 伊沢柏軒はこの年三月に二百俵三十人扶持の奥医師にせられて、中橋埋地からお玉が池に居を移した。この時新宅の祝宴に招かれた保さんが種々の事を記憶している。柏軒の四女やすは保さんの姉|水木《みき》と長唄の「老松《おいまつ》」を歌った。柴田常庵《しばたじょうあん》という肥え太った医師は、越中褌《えっちゅうふんどし》一つを身に着けたばかりで、「棚の達
前へ 次へ
全446ページ中288ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング