齢《よわい》は諸書に異同があって、中に七十一としたものと七十六としたものとが多い。鈴木|春浦《しゅんぽ》さんに頼んで、妙源寺の墓石と過去帖とを検してもらったが、並《ならび》に皆これを記していない。しかし文集を閲《けみ》するに、故郷の安達太郎山《あだたらやま》に登った記に、干支と年齢のおおよそとが書してあって、万延元年に七十六に満たぬことは明白である。子|文九郎重允《ぶんくろうちょういん》が家を嗣いだ。少《わか》い時|疥癬《かいせん》のために衰弱したのを、父が温泉に連れて往って治《ち》したことが、文集に見えている。抽斎は艮斎のワシントンの論讃を読んで、喜んで反復したそうである。恐《おそら》くは『洋外紀略』の「嗚呼《ああ》話聖東《ワシントンは》、雖生於戎羯《じゅうけつにうまるといえども》、其為人《そのひととなりや》、有足多者《たりておおきものあり》」云々の一節であっただろう。
その七十一
抽斎歿後第三年は文久元年である。年の初《はじめ》に五百《いお》は大きい本箱三つを成善《しげよし》の部屋に運ばせて、戸棚の中に入れた。そしてこういった。
「これは日本に僅《わずか》三部しかない善
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