この時矢島氏に入《い》って末期養子《まつごようし》となったのである。そしてその媒介者は中丸昌庵であった。
中丸は当時その師抽斎に説くに、頗る多言を費《ついや》し、矢島氏の祀《まつり》を絶つに忍びぬというを以て、抽斎の情誼《じょうぎ》に愬《うった》えた。なぜというに、抽斎が次男優善をして矢島氏の女壻たらしむるのは大いなる犠牲であったからである。玄碩の遺した女《むすめ》鉄は重い痘瘡《とうそう》を患《うれ》えて、瘢痕《はんこん》満面、人の見るを厭《いと》う醜貌であった。
抽斎は中丸の言《こと》に動《うごか》されて、美貌の子優善を鉄に与えた。五百《いお》は情として忍びがたくはあったが、事が夫の義気に出《い》でているので、強いて争うことも出来なかった。
この事のあった年、五百は二月四日に七歳の棠《とう》を失い、十五日に三歳の癸巳《きし》を失っていた。当時五歳の陸《くが》は、小柳町《こやなぎちょう》の大工の棟梁《とうりょう》新八が許《もと》に里に遣られていたので、それを喚《よ》び帰そうと思っていると、そこへ鉄が来て抱かれて寝ることになり、陸は翌年まで里親の許に置かれた。
棠は美しい子で、抽
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