偏盲《へんもう》のために義眼を装っていることを告げた。そして涙を流しつつ、旧盟を破らずにいてくれと頼んだ。文一郎は陽にこれを諾して帰って、それきりこの女と絶ったそうである。
その六十八
わたくしは少時の文一郎を伝うるに、辞《ことば》を費すことやや多きに至った。これは単に文一郎が穉《おさな》い成善《しげよし》を扶掖《ふえき》したからではない。文一郎と渋江氏との関係は、後に漸《ようや》く緊密になったからである。文一郎は成善の姉壻になったからである。文一郎さんは赤坂台町《あかさかだいまち》に現存している人ではあるが、恐《おそら》くは自ら往事を談ずることを喜ばぬであろう。その少時の事蹟には二つの活《い》きた典拠がある。一つは矢川文内の二女お鶴《つる》さんの話で、一つは保さんの話である。文内には三子二女があった。長男|俊平《しゅんぺい》は宗家を嗣《つ》いで、その子|蕃平《しげへい》さんが今浅草|向柳原町《むこうやなぎはらちょう》に住しているそうである。俊平の弟は鈕平《ちゅうへい》、録平《ろくへい》である。女子は長を鉞《えつ》といい、次《つぎ》を鑑《かん》という。鑑は後に名を鶴と更《あ
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