以御干家邦《もってかほうをぎょす》」を引いて、宗右衛門が※[#「廱−まだれ」、第4水準2−91−84]々《ようよう》の和を破るのを責め、声色《せいしょく》共に※[#「厂+萬」、第3水準1−14−84]《はげ》しかった。宗右衛門は屈服して、「なぜあなたは男に生れなかったのです」といった。
長尾の家に争が起るごとに、五百が来なくてはならぬということになるには、こういう来歴があったのである。
その六十七
抽斎の歿した翌年安政六年には、十一月二十八日に矢島|優善《やすよし》が浜町中屋敷詰の奥通《おくどおり》にせられた。表医者の名を以て信順《のぶゆき》の側《かたわら》に侍することになったのである。今なお信頼しがたい優善が、責任ある職に就《つ》いたのは、五百のために心労を増す種であった。
抽斎の姉|須磨《すま》の生んだ長女|延《のぶ》の亡くなったのは、多分この年の事であっただろう。允成《ただしげ》の実父稲垣清蔵の養子が大矢清兵衛《おおやせいべえ》で、清兵衛の子が飯田良清《いいだよしきよ》で、良清の女《むすめ》がこの延である。容貌《ようぼう》の美しい女で、小舟町《こぶねちょう》の鰹節
前へ
次へ
全446ページ中258ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング