る。血族関係は杵屋勝久さんが姉で、保さんが弟である。この二人の同胞《はらから》の間に脩《おさむ》という人があって、亡くなって、その子が終吉さんである。然るに勝久さんは長唄の師匠、保さんは著述家、終吉さんは図案を作ることを業とする画家であって、三軒の家は頗《すこぶ》る生計の方向を殊《こと》にしている。そこで早く怙《こ》を失った終吉さんは伯母《おば》をたよって往来《ゆきき》をしていても、勝久さんと保さんとはいつとなく疎遠になって、勝久さんは久しく弟の住所をだに知らずにいたそうである。そのうち丁度わたくしが渋江氏の子孫を捜しはじめた頃、保さんの女《むすめ》冬子《ふゆこ》さんが病死した。それを保さんが姉に報じたので、勝久さんは弟の所在《ありか》を知った。終吉さんが住所を告げてくれた叔父というのが即ち保さんである。是《ここ》においてわたくしは、外崎さんの捜索を煩《わずらわ》すまでもなく、保さんの今の牛込《うしごめ》船河原町《ふながわらちょう》の住所を知って、直《すぐ》にそれを外崎さんに告げた。

   その八

 わたくしは谷中の感応寺に往って、抽斎の墓を訪ねた。墓は容易《たやす》く見附けられた
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