》いといった。
これらの言《こと》を聞いた後《のち》に、抽斎の生涯を回顧すれば、誰人《たれひと》もその言行一致を認めずにはいられまい。抽斎は内《うち》徳義を蓄え、外《ほか》誘惑を却《しりぞ》け、恒《つね》に己《おのれ》の地位に安んじて、時の到るを待っていた。我らは抽斎の一たび徴《め》されて起《た》ったのを見た。その躋寿館《せいじゅかん》の講師となった時である。我らは抽斎のまさに再び徴《め》されて辞せんとするのを見た。恐らくはそのまさに奥医師たるべき時であっただろう。進むべくして進み、辞すべくして辞する、その事に処するに、綽々《しゃくしゃく》として余裕があった。抽斎の咸《かん》の九四《きゅうし》を説いたのは虚言ではない。
抽斎の森|枳園《きえん》における、塩田|良三《りょうさん》における、妻岡西氏における、その人を待つこと寛宏《かんこう》なるを見るに足る。抽斎は※[#「挈」の「手」に代えて「糸」、第3水準1−90−4]矩の道において得る所があったのである。
抽斎の性行とその由って来《きた》る所とは、ほぼ上述の如くである。しかしここにただ一つ剰《あま》す所の問題がある。嘉永安政の時代
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