ぱん》であった。しかし当時法印の位は太《はなは》だ貴《とうと》いもので、※[#「くさかんむり/頤のへん」、第4水準2−86−13]庭が渋江の家に来ると、茶は台のあり蓋《ふた》のある茶碗に注《つ》ぎ、菓子は高坏《たかつき》に盛って出した。この器《うつわ》は大名と多紀法印とに茶菓《ちゃか》を呈する時に限って用いたそうである。※[#「くさかんむり/頤のへん」、第4水準2−86−13]庭の後《のち》は安琢《あんたく》が嗣《つ》いだ。
 暁湖、名は元※[#「日+斤」、第3水準1−85−14]、字は兆寿《ちょうじゅ》、通称は安良《あんりょう》であった。桂山の孫、柳※[#「さんずい+片」、第3水準1−86−57]《りゅうはん》の子である。文化三年に生れ、文政十年六月三日に父を喪《うしな》って、八月四日に宗家を継承した。暁湖の後《のち》を襲《つ》いだのは養子|元佶《げんきつ》で、実は季《すえ》の弟である。
 安政五年には二月二十八日に、抽斎の七男|成善《しげよし》が藩主津軽|順承《ゆきつぐ》に謁した。年|甫《はじめ》て二歳、今の齢《よわい》を算する法に従えば、生れて七カ月であるから、人に懐《いだ》かれ
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