奇とすべきは、その人が康衢《こうく》通逵《つうき》をばかり歩いていずに、往々|径《こみち》に由《よ》って行くことをもしたという事である。抽斎は宋槧《そうざん》の経子を討《もと》めたばかりでなく、古い「武鑑」や江戸図をも翫《もてあそ》んだ。もし抽斎がわたくしのコンタンポランであったなら、二人の袖《そで》は横町《よこちょう》の溝板《どぶいた》の上で摩《す》れ合ったはずである。ここにこの人とわたくしとの間に※[#「日+匿」、第4水準2−14−16]《なじ》みが生ずる。わたくしは抽斎を親愛することが出来るのである。
わたくしはこう思う心の喜ばしさを外崎さんに告げた。そしてこれまで抽斎の何人《なんひと》なるかを知らずに、漫然抽斎のマニュスクリイの蔵※[#「去/廾」、24−15]者《ぞうきょしゃ》たる渋江氏の事蹟を訪ね、そこに先ず『経籍訪古志』を著《あらわ》した渋江道純の名を知り、その道純を識っていた人に由って、道純の子孫の現存していることを聞き、ようよう今日《こんにち》道純と抽斎とが同人であることを知ったという道行《みちゆき》を語った。
外崎さんも事の奇なるに驚いていった。「抽斎の子なら、わ
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