命せられた。総裁は多紀楽真院法印、多紀|安良《あんりょう》法眼《ほうげん》である。楽真院は※[#「くさかんむり/頤のへん」、第4水準2−86−13]庭《さいてい》、安良は暁湖《ぎょうこ》で、並《ならび》に二百俵の奥医師であるが、彼は法印、此《これ》は法眼になっていて、当時|矢《や》の倉《くら》の分家が向柳原《むこうやなぎはら》の宗家の右におったのである。校正十三人の中には伊沢柏軒、森枳園、堀川舟庵と抽斎とが加わっていた。
 躋寿館では『医心方』影写程式《えいしゃていしき》というものが出来た。写生は毎朝辰刻《まいちょうたつのこく》に登館して、一人一日《いちにんいちじつ》三|頁《けつ》を影模する。三頁を模し畢《おわ》れば、任意に退出することを許す。三頁を模すること能《あた》わざるものは、二頁を模し畢って退出しても好い。六頁を模したるものは翌日休むことを許す。影写は十一月|朔《さく》に起って、二十日に終る。日に二頁を模するものは晦《みそか》に至る。この間は三八の休課を停止する。これが程式の大要である。

   その四十五

 半井《なからい》本の『医心方』を校刻するに当って、仁和寺本を写した
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