居間の戸の外から声を掛けた。自ら鰻《うなぎ》を誂《あつら》えて置いて来て、粥《かゆ》を所望《しょもう》することもあった。そして抽斎に、「どうぞ己《おれ》に構ってくれるな、己には御新造《ごしんぞう》が合口《あいくち》だ」といって、書斎に退かしめ、五百と語りつつ飲食《のみくい》するを例としたそうである。
 榛軒が歿してから一月《いちげつ》の後《のち》、十二月十六日に弟柏軒が躋寿館《せいじゅかん》の講師にせられた。森|枳園《きえん》らと共に『千金方』校刻の命を受けてから四年の後で、柏軒は四十三歳になっていた。
 この年に五百の姉壻長尾宗右衛門が商業の革新を謀《はか》って、横山町《よこやまちょう》の家を漆器店《しっきみせ》のみとし、別に本町《ほんちょう》二丁目に居宅を置くことにした。この計画のために、抽斎は二階の四室を明けて、宗右衛門夫妻、敬《けい》、銓《せん》の二女、女中|一人《いちにん》、丁稚《でっち》一人を棲《す》まわせた。
 嘉永六年正月十九日に、抽斎の六女|水木《みき》が生れた。家族は主人夫婦、恒善夫婦、陸《くが》、水木の六人で、優善《やすよし》は矢島氏の主人になっていた。抽斎四十九
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