が許多《あまた》の女子《おなご》を役《えき》して、客に田楽《でんがく》豆腐などを供せしめた。パアル・アンチシパションに園遊会を催したのである。歳《とし》の初《はじめ》の発会式《ほっかいしき》も、他家に較《くら》ぶれば華やかであった。しほの母は素《もと》京都|諏訪《すわ》神社の禰宜《ねぎ》飯田氏の女《じょ》で、典薬頭《てんやくのかみ》某の家に仕えているうちに、その嗣子と私《わたくし》してしほを生んだ。しほは落魄《らくたく》して江戸に来て、木挽町《こびきちょう》の芸者になり、些《ちと》の財を得て業を罷《や》め、新堀《しんぼり》に住んでいたそうである。榛軒が娶ったのはこの時の事である。しほは識《し》らぬ父の記念《かたみ》の印籠《いんろう》一つを、母から承《う》け伝えて持っていた。榛軒がしほに生ませた女《むすめ》かえは、一時池田京水の次男|全安《ぜんあん》を迎えて夫としていたが、全安が広く内科を究めずに、痘科と唖《あ》科とに偏するというを以て、榛軒が全安を京水の許《もと》に還したそうである。
 榛軒は辺幅《へんぷく》を脩《おさ》めなかった。渋江の家を訪《と》うに、踊りつつ玄関から入《い》って、
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