しゅんしょう》、字《あざな》は伯民《はくみん》、小字《おさなな》は清太郎《せいたろう》、通称は修理《しゅり》で、東堂《とうどう》と号した。文化十一年|生《うまれ》で貞固よりは二つの年下である。平井の家は世禄《せいろく》二百石八人扶持なので、留守居になってから百石の補足を受けた。
貞固は好丈夫《こうじょうふ》で威貌《いぼう》があった。東堂もまた風※[#「蚌のつくり」、第3水準1−14−6]《ふうぼう》人に優れて、しかも温容|親《したし》むべきものがあった。そこで世の人は津軽家の留守居は双壁《そうへき》だと称したそうである。
当時の留守居役所には、この二人《ふたり》の下に留守居|下役《したやく》杉浦多吉《すぎうらたきち》、留守居|物書《ものかき》藤田徳太郎《ふじたとくたろう》などがいた。杉浦は後|喜左衛門《きざえもん》といった人で、事務に諳錬《あんれん》した六十余の老人であった。藤田は維新後に潜《ひそむ》と称した人で、当時まだ青年であった。
或日東堂が役所で公用の書状を発せようとして、藤田に稿を属《しょく》せしめた。藤田は案を具《ぐ》して呈した。
「藤田。まずい文章だな。それにこの書
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