森養竹《もりようちく》である。磐安は即ち柏軒で、舟庵は『経籍訪古志』の跋《ばつ》に見えている堀川|済《せい》である。舟庵の主《しゅ》黒田直静は上総国|久留利《くるり》の城主で、上屋敷は下谷広小路《したやひろこうじ》にあった。
任命は若年寄《わかどしより》大岡|主膳正《しゅぜんのかみ》忠固《ただかた》の差図を以て、館主多紀|安良《あんりょう》が申し渡し、世話役小島|春庵《しゅんあん》、世話役手伝勝本|理庵《りあん》、熊谷《くまがい》弁庵《べんあん》が列座した。安良は即ち暁湖《ぎょうこ》である。
何故《なにゆえ》に枳園が※[#「くさかんむり/頤のへん」、第4水準2−86−13]庭《さいてい》の門人として召し出されたかは知らぬが、阿部家への帰参は当時内約のみであって、まだ表向《おもてむき》になっていなかったのでもあろうか。枳園は四十二歳になっていた。
この年八月二十九日に、真志屋《ましや》五郎作《ごろさく》が八十歳で歿した。抽斎はこの時三世|劇神仙《げきしんせん》になったわけである。
嘉永二年三月七日に、抽斎は召されて登城《とじょう》した。躑躅《つつじ》の間《ま》において、老中《ろう
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