論争したそうである。
枳園が此《かく》の如くにしてしばしば江戸に出たのは、遊びに出たのではなかった。故主《こしゅう》の許《もと》に帰参しようとも思い、また才学を負うた人であるから、首尾|好《よ》くは幕府の直参《じきさん》にでもなろうと思って、機会を窺《うかが》っていたのである。そして渋江の家はその策源地であった。
卒《にわか》に見れば、枳園が阿部家の古巣に帰るのは易《やす》く、新に幕府に登庸せられるのは難いようである。しかし実況にはこれに反するものがあった。枳園は既に学術を以て名を世間に馳《は》せていた。就中《なかんずく》本草《ほんぞう》に精《くわ》しいということは人が皆認めていた。阿部伊勢守正弘はこれを知らぬではない。しかしその才学のある枳園の軽佻《けいちょう》を忌む心が頗《すこぶ》る牢《かた》かった。多紀一家《たきいっけ》殊に※[#「くさかんむり/頤のへん」、第4水準2−86−13]庭《さいてい》はややこれと趣を殊にしていて、ほぼこの人の短を護《ご》して、その長を用いようとする抽斎の意に賛同していた。
枳園を帰参させようとして、最も尽力したのは伊沢|榛軒《しんけん》、柏軒の兄
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