うこう》を読んで、直《ただ》ちにこの書信が徳の自力によって成ったものでないことを知った。文章の背面に父允成の気質が歴々として見えていたからである。
允成は抽斎の徳に親《したし》まぬのを見て、前途のために危《あやぶ》んでいたので、抽斎が旅に立つと、すぐに徳に日課を授けはじめた。手本を与えて手習《てならい》をさせる。日記を附けさせる。そしてそれに本《もと》づいて文案を作って、徳に筆を把《と》らせ、家内《かない》の事は細大となく夫に報ぜさせることにしたのである。
抽斎は江戸の手紙を得るごとに泣いた。妻のために泣いたのではない。父のために泣いたのである。
二年近い旅から帰って、抽斎は勉《つと》めて徳に親んで、父の心を安《やすん》ぜようとした。それから二年立って優善《やすよし》が生れた。
尋《つ》いで抽斎は再び弘前へ往って、足掛三年|淹留《えんりゅう》した。留守に父の亡くなった旅である。それから江戸に帰って、中一年置いて好《よし》が生れ、その翌年また八三郎が生れた。徳は八三郎を生んで一年半立って亡くなった。
そして徳の亡くなった跡へ山内氏|五百《いお》が来ることになった。抽斎の身分は徳
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