問い合せて見ようといった。
 わたくしの再度の向島探討は大正四年の暮であったので、そのうちに五年の初《はじめ》になった。墨汁師の新年の書信に問合せの結果が記《しる》してあったが、それは頗《すこぶ》る覚束《おぼつか》ない口吻《こうふん》であった。嶺松寺の廃せられた時、その事に与《あずか》った寺々に問うたが、池田氏の墓には檀家がなかったらしい。当時無縁の墓を遷した所は、染井《そめい》共同墓地であった。独立の表石というものは誰《たれ》も知らないというのである。
 これでは捜索の前途には、殆ど毫《すこ》しの光明をも認めることが出来ない。しかしわたくしは念晴《ねんばら》しのために、染井へ尋ねに往《い》った。そして墓地の世話をしているという家を訪うた。
 墓にまいる人に樒《しきみ》や綫香《せんこう》を売り、また足を休めさせて茶をも飲ませる家で、三十ばかりの怜悧《かしこ》そうなお上《かみ》さんがいた。わたくしはこの女の口から絶望の答を聞いた。共同墓地と名にはいうが、その地面には井然《せいぜん》たる区画があって、毎区に所有主がある。それが墓の檀家である。そして現在の檀家の中《うち》には池田という家はない。池田という檀家がないから、池田という人の墓のありようがないというのである。
「それでも新聞に、行倒《ゆきだお》れがあったのを共同墓地に埋めたということがあるではありませんか。そうして見れば檀家のない仏の往《い》く所があるはずです。わたくしの尋ねるのは、行倒れではないが、前に埋めてあった寺が取払《とりはらい》になって、こっちへ持って来られた仏です。そういう時、石塔があれば石塔も運んで来るでしょう。それをわたくしは尋ねるのです。」こういってわたくしは女の毎区有主説に反駁《はんばく》を試みた。
「ええ、それは行倒れを埋める所も一カ所ございます。ですけれど行倒れに石塔を建てて遣《や》る人はございません。それにお寺から石塔を運んで来たということは、聞いたこともございません。つまりそんな所には石塔なんぞは一つもないのでございます。」
「でもわたくしは切角《せっかく》尋ねに来たものですから、そこへ往って見ましょう。」
「およしなさいまし。石塔のないことはわたくしがお受合《うけあい》申しますから。」こういって女は笑った。
 わたくしもげにもと思ったので、墓地には足を容《い》れずに引き返した。
 女の言《こと》には疑うべき余地はない。しかしわたくしは責任ある人の口から、同じ事をでも、今一度聞きたいような気がした。そこで帰途に町役場に立ち寄って問うた。町役場の人は、墓地の事は扱わぬから、本郷区役所へ往けといった。
 町役場を出た時、もう冬の日が暮れ掛かっていた。そこでわたくしは思い直した。廃寺になった嶺松寺から染井共同墓地へ墓石の来なかったことは明白である。それを区役所に問うのは余りに痴《おろか》であろう。むしろ行政上無縁の墓の取締《とりしまり》があるか、もしあるなら、どう取り締まることになっているかということを問うに若《し》くはない。その上今から区役所に往った所で、当直の人に墓地の事を問うのは甲斐《かい》のない事であろう。わたくしはこう考えて家に還《かえ》った。

   その十八

 わたくしは人に問うて、墓地を管轄するのが東京府庁で、墓所の移転を監視するのが警視庁だということを知った。そこで友人に託して、府庁では嶺松寺の廃絶に関してどれだけの事が知り得られるか、また警視庁は墓所の移転をどの位の程度に監視することになっているかということを問うてもらった。
 府庁には明治十八年に作られた墓地の台帳ともいうべきものがある。しかし一応それを検した所では、嶺松寺という寺は載せてないらしかった。その廃絶に関しては、何事をも知ることが出来ぬのである。警視庁は廃寺等のために墓碣《ぼけつ》を搬出するときには警官を立ち会わせる。しかしそれは有縁《うえん》のものに限るので、無縁のものはどこの共同墓地に改葬したということを届け出《い》でさせるに止《とど》まるそうである。
 そうして見れば、嶺松寺の廃せられた時、境内の無縁の墓が染井共同墓地に遷《うつ》されたというのは、遷したという一紙の届書《とどけしょ》が官庁に呈せられたに過ぎぬかも知れない。所詮《しょせん》今になって戴曼公《たいまんこう》の表石や池田氏の墓碣の踪迹《そうせき》を発見することは出来ぬであろう。わたくしは念を捜索に絶つより外あるまい。
 とかくするうちに、わたくしが池田|京水《けいすい》の墓を捜し求めているということ、池田氏の墓のあった嶺松寺が廃絶したということなどが『東京朝日新聞』の雑報に出た。これはわたくしが先輩知友に書を寄せて問うたのを聞き知ったものであろう。雑報の掲げられた日の夕方、無名の人がわたくしに電話を掛
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