勝久の陸《くが》は啻《ただ》に長唄を稽古《けいこ》したばかりではなく、幼《いとけな》くして琴を山勢《やませ》氏に学び、踊を藤間《ふじま》ふじに学んだ。陸の踊に使う衣裳《いしょう》小道具は、渋江の家では十二分に取り揃《そろ》えてあったので、陸と共に踊る子が手廻《てまわ》り兼ねる家の子であると、渋江氏の方でその相手の子の支度をもして遣って踊らせた。陸は善く踊ったが、その嗜好《しこう》が長唄に傾《かたぶ》いていたので、踊は中途で罷《や》められた。
 陸は遠州流の活花《いけばな》をも学んだ。碁《ご》象棋《しょうぎ》をも母|五百《いお》に学んだ。五百の碁は二段であった。五百はかつて薙刀《なぎなた》をさえ陸に教えたことがある。
 陸の読書筆札の事は既に記したが、やや長ずるに及んでは、五百が近衛予楽院《このえよらくいん》の手本を授けて臨書せしめたそうである。
 陸の裁縫は五百が教えた。陸が人と成ってから後《のち》は、渋江の家では重ねものから不断著《ふだんぎ》まで殆《ほとん》ど外へ出して裁縫させたことがない。五百は常に、「為立《したて》は陸に限る、為立屋の為事《しごと》は悪い」といっていた。張物《はりもの》も五百が尺《ものさし》を手にして指図し、布目《ぬのめ》の毫《ごう》も歪《ゆが》まぬように陸に張らせた。「善く張った切《きれ》は新しい反物《たんもの》を裁ったようでなくてはならない」とは、五百の恒《つね》の詞《ことば》であった。
 髪を剃《そ》り髪を結《ゆ》うことにも、陸は早く熟錬した。剃ることには、尼|妙了《みょうりょう》が「お陸様が剃《す》って下さるなら、頭が罅欠《ひびかけ》だらけになっても好《い》い」といって、頭を委《まか》せていたので馴《な》れた。結うことはお牧《まき》婆《ば》あやの髪を、前髪に張《はり》のない、小さい祖母子《おばこ》に結ったのが手始《てはじめ》で、後には母の髪、妹の髪、女中たちの髪までも結い、我髪は固《もと》より自ら結った。唯|余所行《よそゆき》の我髪だけ母の手を煩わした。弘前に徙《うつ》った時、浅越《あさごえ》玄隆、前田善二郎の妻、松本|甲子蔵《きねぞう》の妹などは菓子折を持って来て、陸に髪を結ってもらった。陸は礼物《れいもつ》を却《しりぞ》けて結って遣り、流行《はやり》の飾をさえ贈った。
 陸は生得《しょうとく》おとなしい子で、泣かず怒《いか》らず、饒
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