ら二十七年三月二十九日まで職を学習院に奉じて、生徒に筆札を授けていたが、明治二十八年一月に歿した。
 成善がこの頃母五百と倶《とも》に浅草|永住町《ながすみちょう》の覚音寺《かくおんじ》に詣《もう》でたことがある。覚音寺は五百の里方山内氏の菩提所《ぼだいしょ》である。帰途|二人《ふたり》は蔵前通《くらまえどおり》を歩いて桃太郎団子の店の前に来ると、五百の相識の女に邂逅《かいこう》した。これは五百と同じく藤堂家に仕えて、中老になっていた人である。五百は久しく消息の絶えていたこの女と話がしたいといって、ほど近い横町《よこちょう》にある料理屋|誰袖《たがそで》に案内した。成善も跡に附いて往った。誰袖は当時|川長《かわちょう》、青柳《あおやぎ》、大七《だいしち》などと並称せられた家である。
 三人の通った座敷の隣に大一座《おおいちざ》の客があるらしかった。しかし声高《こえたか》く語り合うこともなく、矧《まし》てや絃歌《げんか》の響などは起らなかった。暫《しばら》くあってその座敷が遽《にわか》に騒がしく、多人数《たにんず》の足音がして、跡はまたひっそりとした。
 給仕《きゅうじ》に来た女中に五百が問うと、女中はいった。「あれは札差《ふださし》の檀那衆《だんなしゅ》が悪作劇《いたずら》をしてお出《いで》なすったところへ、お辰《たつ》さんが飛び込んでお出なすったのでございます。蒔《ま》き散らしてあったお金をそのままにして置いて、檀那衆がお逃《にげ》なさると、お辰さんはそれを持ってお帰《かえり》なさいました」といった。お辰というのは、後《のち》盗《ぬすみ》をして捕えられた旗本|青木弥太郎《あおきやたろう》の妾《しょう》である。
 女中の語り畢《おわ》る時、両刀を帯びた異様の男が五百らの座敷に闖入《ちんにゅう》して「手前《てまえ》たちも博奕《ばくち》の仲間だろう、金を持っているなら、そこへ出してしまえ」といいつつ、刀《とう》を抜いて威嚇した。
「なに、この騙《かた》り奴《め》が」と五百は叫んで、懐剣を抜いて起《た》った。男は初《はじめ》の勢にも似ず、身を翻《ひるがえ》して逃げ去った。この年五百はもう四十七歳になっていた。

   その七十四

 矢島|優善《やすよし》は山田の塾に入《い》って、塾頭に推されてから、やや自重するものの如く、病家にも信頼せられて、旗下《はたもと》の家庭にし
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