来《つきゆかばすなわちひきたり》、日月相推而明生焉《じつげつあいおしてひかりうまる》、寒往則暑来《かんゆけばすなわちしょきたり》、暑往則寒来《しょゆけばすなわちかんきたり》、寒暑相推而歳成焉《かんしょあいおしてとしなる》」というが如く、人の運命にもまた自然の消長がある。須《すべから》く自重して時の到《いた》るを待つべきである。
「尺蠖之屈《せきかくのくっするは》、以求信也《もってのびんことをもとむるなり》、龍蛇之蟄《りょうだのかくるるは》、以存身也《もってみをながらえるなり》」とはこれの謂《いい》であるといった。五百の兄広瀬栄次郎が已《すで》に町人を罷《や》めて金座《きんざ》の役人となり、その後《のち》久しく金《かね》の吹替《ふきかえ》がないのを見て、また業を更《あらた》めようとした時も、抽斎はこの爻《こう》を引いて諭《さと》した。

   その五十九

 抽斎はしばしば地雷復《ちらいふく》の初九爻《しょきゅうこう》を引いて人を諭した。「不遠復无祗悔《とおからずしてかえるくいにいたることなし》」の爻である。過《あやまち》を知って能《よ》く改むる義で、顔淵《がんえん》の亜聖たる所以《ゆえん》は此《ここ》に存するというのである。抽斎はいつもその跡で言い足した。しかし顔淵の好処《こうしょ》は啻《ただ》にこれのみではない。「回之為人也《かいのひととなりや》、択乎中庸《ちゅうようをえらび》、得一善《いちぜんをうれば》、則拳拳服膺《すなわちけんけんふくようして》、而弗失之矣《これをうしなわず》」というのがこれである。孔子が子貢《しこう》にいった語に、顔淵を賞して、「吾与汝《われとなんじと》、弗如也《しかざるなり》」といったのも、これがためであるといった。
 抽斎はかつていった。「為政以徳《まつりごとをなすにとくをもってすれば》、譬如北辰《たとえばほくしんの》、居其所《そのところにいて》、而衆星共之《しゅうせいのこれにむかうがごとし》」というのは、独《ひとり》君道を然《しか》りとなすのみではない。人は皆|奈何《いかに》したら衆星が己《おのれ》に共《むか》うだろうかと工夫しなくてはならない。能《よ》くこれを致すものは即ち「※[#「挈」の「手」に代えて「糸」、第3水準1−90−4]矩之道《けっくのみち》」である。韓退之《かんたいし》は「其責己也重以周《そのおのれをせむるやおもくしても
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