徳川家斉《とくがわいえなり》が五十四、五歳になった時である。御台所《みだいどころ》は近衛経煕《このえけいき》の養女|茂姫《しげひめ》である。
五百は姉小路《あねこうじ》という奥女中の部屋子《へやこ》であったという。姉小路というからには、上臈《じょうろう》であっただろう。然《しか》らば長局《ながつぼね》の南一の側《かわ》に、五百はいたはずである。五百らが夕方《ゆうかた》になると、長い廊下を通って締めに往《ゆ》かなくてはならぬ窓があった。その廊下には鬼が出るという噂《うわさ》があった。鬼とはどんな物で、それが出て何をするかというに、誰《たれ》も好《よ》くは見ぬが、男の衣《きもの》を着ていて、額に角《つの》が生《は》えている。それが礫《つぶて》を投げ掛けたり、灰を蒔《ま》き掛けたりするというのである。そこでどの部屋子も窓を締めに往くことを嫌って、互《たがい》に譲り合った。五百は穉《おさな》くても胆力があり、武芸の稽古《けいこ》をもしたことがあるので、自ら望んで窓を締めに往《い》った。
暗い廊下を進んで行くと、果してちょろちょろと走り出たものがある。おやと思う間もなく、五百は片頬《かたほ》に灰を被《かぶ》った。五百には咄嗟《とっさ》の間《あいだ》に、その物の姿が好くは見えなかったが、どうも少年の悪作劇《いたずら》らしく感ぜられたので、五百は飛び附いて掴《つか》まえた。
「許せ/\」と鬼は叫んで身をもがいた。五百はすこしも手を弛《ゆる》めなかった。そのうちに外の女子《おなご》たちが馳《は》せ附けた。
鬼は降伏して被っていた鬼面《おにめん》を脱いだ。銀之助《ぎんのすけ》様と称《とな》えていた若者で、穉くて美作国《みまさかのくに》西北条郡《にしほうじょうごおり》津山《つやま》の城主|松平家《まつだいらけ》へ壻入《むこいり》した人であったそうである。
津山の城主松平越後守|斉孝《なりたか》の次女|徒《かち》の方《かた》の許《もと》へ壻入したのは、家斉の三十四人目の子で、十四男|参河守《みかわのかみ》斉民《なりたみ》である。
斉民は小字《おさなな》を銀之助という。文化十一年七月二十九日に生れた。母はお八重《やえ》の方《かた》である。十四年七月二十二日に、御台所《みだいどころ》の養子にせられ、九月十八日に津山の松平家に壻入し、十二月三日に松平邸に往《いっ》た。四歳の壻君《むこ
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