た注進などの役をも勤めた。
 或日阿部家の女中が宿に下《さが》って芝居を看《み》に往《ゆ》くと、ふと登場している俳優の一人が養竹《ようちく》さんに似ているのに気が附いた。そう思って、と見《み》こう見するうちに、女中はそれが養竹さんに相違ないと極《き》めた。そして邸《やしき》に帰ってから、これを傍輩《ほうばい》に語った。固《もと》より一の可笑《おか》しい事として語ったので、初より枳園に危害を及ぼそうとは思わなかったのである。
 さてこの奇談が阿部邸の奥表《おくおもて》に伝播《でんぱ》して見ると、上役《うわやく》はこれを棄《す》て置かれぬ事と認めた。そこでいよいよ君侯に稟《もう》して禄を褫《うば》うということになってしまった。

   その二十八

 枳園《きえん》は俳優に伍《ご》して登場した罪によって、阿部家の禄を失って、永《なが》の暇《いとま》になった。後に抽斎の四人目の妻となるべき山内氏|五百《いお》の姉は、阿部家の奥に仕えて、名を金吾《きんご》と呼ばれ、枳園をも識《し》っていたが、事件の起《おこ》る三、四年|前《ぜん》に暇を取ったので、当時の阿部家における細かい事情を知らなかった。
 永の暇になるまでには、相応に評議もあったことであろう。友人の中には、枳園を救おうとした人もあったことであろう。しかし枳園は平生|細節《さいせつ》に拘《かかわ》らぬ人なので、諸方面に対して、世にいう不義理が重なっていた。中にも一、二件の筆紙に上《のぼ》すべからざるものもある。救おうとした人も、これらの障礙《しょうがい》のために、その志を遂げることが出来なかったらしい。
 枳園は江戸で暫《しばら》く浪人生活をしていたが、とうとう負債のために、家族を引き連れて夜逃《よにげ》をした。恐らくはこの最後の策に出《い》づることをば、抽斎にも打明けなかっただろう。それは面目《めんぼく》がなかったからである。※[#「挈」の「手」に代えて「糸」、第3水準1−90−4]矩《けっく》の道を紳《しん》に書していた抽斎をさえ、度々忍びがたき目に逢《あ》わせていたからである。
 枳園は相模国をさして逃げた。これは当時三十一歳であった枳園には、もう幾人《いくたり》かの門人があって、その中《うち》に相模の人がいたのをたよって逃げたのである。この落魄《らくたく》中の精《くわ》しい経歴は、わたくしにはわからない。『桂川
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