一説を挙げよう。それはドイツの学者リンド氏の説で、イギリスの学者ビイフ氏の説も略《ほゞ》それと一致してゐる。それはかうである。スピイスは槍である。ブルクは城である。あの市で城らしい建物と云つては、議事堂が一棟しか無いが、その議事堂の塔に或る時雷が落ちた。その落ち工合が丁度上から槍で衝いたやうであつたことを思ふと、此語源説が愈《いよ/\》尤《もつとも》らしく聞えて来る。併しこんな重大な問題にうかと断案を下して、跡で恥を掻きたくもないから、己はなんとも言はずに置かう。読者が若し此問題を深く研究しようと思ふなら、有名なオランダの大学教授ホオルコツプ氏のオラチウンクレエ・デ・レエブス・プレテリチスと云ふ本を見るが好からう。それから今一つ参考して好い本は、フアン・デル・ドムヘエト氏のデ・デレワチオニブスの二十七ペエジから五千零十ペエジ迄である。此本は大判の紙にゴチツクで印刷してあつて、骨子になつてゐる語には朱と墨とで標《しるし》がしてある。丁附は無い。此本にはフアン・デル・ドムヘエト氏の高足弟子として聞えた支那の民間学者シユツンプジン氏の自筆の書入があるから、それも参考するが好い。又註脚に大学助
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