、賢い小男達で、車輪のやうな目をして、大きい二重の腮を持つてゐる。上着は並の市民の着てゐるのより長い。沓の金物も市民のより太い。己がこの市に来て住むことになつてから、評議員達は二度特別会議を開いて、左の重大な決議をした。
第一条。何事に依らず古来定まりたる事を変更すべからず。
第二条。本市以外には一切取るに足る事なしと認む。
第三条。市民は先祖伝来の時計及キヤベツを忘却すべからず。
議事堂の会議室の上が塔になつてゐる。塔の中には市の創立以来大時計が据ゑ付けてある。これが市の誇りで、同時に市の奇蹟である。家の戸口に据わつてゐる爺いさんの睨んでゐるのはこの時計である。
塔は七角に出来てゐる。大時計も矢張七角になつてゐる。どの面にも針があつて、どこからでも時が見られるやうにしてある。太い、黒い針が広い白い板の面の上にある。市の評議員達は塔の番人を一人雇つて、大時計の番をさせてゐる。番人はその外にはなんの用事もない。だから市には色々の名誉職があるが、大時計の番人程結構な役人はゐない。用事は時計の番をする丈で、しかもその時計は丸で手が掛からない。市の記録に残つてゐる程の時代をどこまで溯つて見ても、大時計が時間を誤つたことはない。それが若しや時間を誤ることがあらうかなんぞと云ふことは、只それを思つたばかりでも怪《け》しからん次第だと、たつたこなひだまで市民一同が信じてゐた。
大時計と同じ事で、市中にある丈の置時計や懐中時計も決して時間を誤ることはない。世界中どこを尋ねても、このスピイスブルク程誰でも時間を好く知つてゐる所はない。大時計が、「正午だ」と云ふと、市民一同口を開けて、谺響《こだま》のやうに「正午だ」と答へる。要するに市民は麦酒樽漬のキヤベツが好なことは無論であるが、彼等の大時計に対する自慢は又格別である。
一体名誉職を持つてゐる人は、誰だつて尊敬せられるに極まつてゐる。だから一番結構な名誉職を持つてゐる大時計の番人が尊敬せられることは論を待たない。番人は市の大役人である。菜園に飼つてある豚でさへ、此人を見るには目を側《そばだ》てて見る。番人の上着の裾は誰のよりも余程長い。煙管も、沓の金物も、目玉も誰のよりも大きい。腹は誰のよりもふくらんでゐる。そこで腮はどうかと云ふと、外の人のは二重《ふたへ》だが、此人のは立派に三重《みへ》になつてゐる。
こゝまで己は
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