なったお頭《つむり》を見ることが出来ません。姉えさん。あなたはわたしに隠して、何か考えていますね。なぜそれをわたしに言って聞かせてくれないのです」
安寿はけさも毫光《ごうこう》のさすような喜びを額にたたえて、大きい目をかがやかしている。しかし弟の詞には答えない。ただ引き合っている手に力を入れただけである。
山に登ろうとする所に沼がある。汀《みぎわ》には去年見たときのように、枯れ葦《あし》が縦横に乱れているが、道端の草には黄ばんだ葉の間に、もう青い芽の出たのがある。沼の畔《ほとり》から右に折れて登ると、そこに岩の隙間《すきま》から清水の湧《わ》く所がある。そこを通り過ぎて、岩壁を右に見つつ、うねった道を登って行くのである。
ちょうど岩の面《おもて》に朝日が一面にさしている。安寿は畳《かさ》なり合った岩の、風化した間に根をおろして、小さい菫《すみれ》の咲いているのを見つけた。そしてそれを指さして厨子王に見せて言った。「ごらん。もう春になるのね」
厨子王は黙ってうなずいた。姉は胸に秘密を蓄《たくわ》え、弟は憂えばかりを抱いているので、とかく受け応えが出来ずに、話は水が砂に沁《し》み込
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