起とうとしたとき、二郎がかたわらから呼び止めた。そして父に言った。「おっしゃる通りに童《わらべ》どもを引き分けさせてもよろしゅうございますが、童どもは死んでも別れぬと申すそうでございます。愚かなものゆえ、死ぬるかも知れません。苅る柴はわずかでも、汲む潮はいささかでも、人手を耗《へ》らすのは損でございます。わたくしがいいように計らってやりましょう」
「それもそうか。損になることはわしも嫌いじゃ。どうにでも勝手にしておけ」大夫はこう言って脇へ向いた。
二郎は三の木戸に小屋を掛けさせて、姉と弟とを一しょに置いた。
ある日の暮れに二人の子供は、いつものように父母のことを言っていた。それを二郎が通りかかって聞いた。二郎は邸を見廻って、強い奴が弱い奴を虐《しえた》げたり、諍《いさか》いをしたり、盗みをしたりするのを取り締まっているのである。
二郎は小屋にはいって二人に言った。「父母は恋しゅうても佐渡は遠い。筑紫はそれよりまた遠い。子供の往かれる所ではない。父母に逢いたいなら、大きゅうなる日を待つがよい」こう言って出て行った。
ほど経てまたある日の暮れに、二人の子供は父母のことを言っていた。それを今度は三郎が通りかかって聞いた。三郎は寝鳥を取ることが好きで邸のうちの木立ち木立ちを、手に弓矢を持って見廻るのである。
二人は父母のことを言うたびに、どうしようか、こうしようかと、逢いたさのあまりに、あらゆる手立てを話し合って、夢のような相談をもする。きょうは姉がこう言った。「大きくなってからでなくては、遠い旅が出来ないというのは、それは当り前のことよ。わたしたちはその出来ないことがしたいのだわ。だがわたしよく思ってみると、どうしても二人一しょにここを逃げ出しては駄目なの。わたしには構わないで、お前一人で逃げなくては。そしてさきへ筑紫の方へ往って、お父うさまにお目にかかって、どうしたらいいか伺うのだね。それから佐渡へお母さまのお迎えに往くがいいわ」三郎が立聞きをしたのは、あいにくこの安寿の詞《ことば》であった。
三郎は弓矢を持って、つと小屋のうちにはいった。
「こら。お主《ぬし》たちは逃げる談合をしておるな。逃亡の企てをしたものには烙印《やきいん》をする。それがこの邸の掟じゃ。赤うなった鉄は熱いぞよ。」
二人の子供は真《ま》っ蒼《さお》になった。安寿は三郎が前に進み出て言った。「あれは※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]《うそ》でございます。弟が一人で逃げたって、まあ、どこまで往かれましょう。あまり親に逢いたいので、あんなことを申しました。こないだも弟と一しょに、鳥になって飛んで往こうと申したこともございます。出放題でございます」
厨子王は言った。「姉えさんの言う通りです。いつでも二人で今のような、出来ないことばかし言って、父母の恋しいのを紛《まぎ》らしているのです」
三郎は二人の顔を見較べて、しばらくの間黙っていた。「ふん。※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]なら※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]でもいい。お主たちが一しょにおって、なんの話をするということを、おれがたしかに聞いておいたぞ」こう言って三郎は出て行った。
その晩は二人が気味悪く思いながら寝た。それからどれだけ寝たかわからない。二人はふと物音を聞きつけて目をさました。今の小屋に来てからは、燈火《ともしび》を置くことが許されている。そのかすかな明りで見れば、枕もとに三郎が立っている。三郎は、つと寄って、両手で二人の手をつかまえる。そして引き立てて戸口を出る。蒼ざめた月を仰ぎながら、二人は目見えのときに通った、広い馬道《めどう》を引かれて行く。階《はし》を三段登る。廊《ほそどの》を通る。廻《めぐ》り廻ってさきの日に見た広間にはいる。そこには大勢の人が黙って並んでいる。三郎は二人を炭火の真っ赤におこった炉の前まで引きずって出る。二人は小屋で引き立てられたときから、ただ「ご免なさいご免なさい」と言っていたが、三郎は黙って引きずって行くので、しまいには二人も黙ってしまった。炉の向い側には茵《しとね》三枚を畳《かさ》ねて敷いて、山椒大夫がすわっている。大夫の赤顔が、座の右左に焚《た》いてある炬火《たてあかし》を照り反して、燃えるようである。三郎は炭火の中から、赤く焼けている火※[#「竹かんむり/助」、第3水準1−89−65]《ひばし》を抜き出す。それを手に持って、しばらく見ている。初め透き通るように赤くなっていた鉄が、次第に黒ずんで来る。そこで三郎は安寿を引き寄せて、火※[#「竹かんむり/助」、第3水準1−89−65]を顔に当てようとする。厨子王はその肘《ひじ》にからみつく。三郎はそれを蹴倒《けたお》して右の膝《ひざ》に敷く。とうとう
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