火※[#「竹かんむり/助」、第3水準1−89−65]を安寿の額に十文字に当てる。安寿の悲鳴が一座の沈黙を破って響き渡る。三郎は安寿を衝き放して、膝の下の厨子王を引き起し、その額にも火※[#「竹かんむり/助」、第3水準1−89−65]を十文字に当てる。新たに響く厨子王の泣き声が、ややかすかになった姉の声に交じる。三郎は火※[#「竹かんむり/助」、第3水準1−89−65]を棄てて、初め二人をこの広間へ連れて来たときのように、また二人の手をつかまえる。そして一座を見渡したのち、広い母屋《おもや》を廻って、二人を三段の階《はし》の所まで引き出し、凍《こお》った土の上に衝き落す。二人の子供は創《きず》の痛みと心の恐れとに気を失いそうになるのを、ようよう堪え忍んで、どこをどう歩いたともなく、三の木戸の小家《こや》に帰る。臥所《ふしど》の上に倒れた二人は、しばらく死骸《しがい》のように動かずにいたが、たちまち厨子王が「姉えさん、早くお地蔵様を」と叫んだ。安寿はすぐに起き直って、肌《はだ》の守袋《まもりぶくろ》を取り出した。わななく手に紐《ひも》を解いて、袋から出した仏像を枕もとに据《す》えた。二人は右左にぬかずいた。そのとき歯をくいしばってもこらえられぬ額の痛みが、掻き消すように失せた。掌《てのひら》で額を撫《な》でてみれば、創は痕もなくなった。はっと思って、二人は目をさました。
二人の子供は起き直って夢の話をした。同じ夢を同じときに見たのである。安寿は守本尊を取り出して、夢で据えたと同じように、枕もとに据えた。二人はそれを伏し拝んで、かすかな燈火《ともしび》の明りにすかして、地蔵尊の額を見た。白毫《びゃくごう》の右左に、鏨《たがね》で彫ったような十文字の疵《きず》があざやかに見えた。
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二人の子供が話を三郎に立聞きせられて、その晩恐ろしい夢を見たときから、安寿の様子がひどく変って来た。顔には引き締まったような表情があって、眉《まゆ》の根には皺《しわ》が寄り、目ははるかに遠いところを見つめている。そして物を言わない。日の暮れに浜から帰ると、これまでは弟の山から帰るのを待ち受けて、長い話をしたのに、今はこんなときにも詞少《ことばすく》なにしている。厨子王が心配して、「姉えさんどうしたのです」と言うと「どうもしないの、大丈夫よ」と言って、わざ
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