た。「あれは※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]《うそ》でございます。弟が一人で逃げたって、まあ、どこまで往かれましょう。あまり親に逢いたいので、あんなことを申しました。こないだも弟と一しょに、鳥になって飛んで往こうと申したこともございます。出放題でございます」
厨子王は言った。「姉えさんの言う通りです。いつでも二人で今のような、出来ないことばかし言って、父母の恋しいのを紛《まぎ》らしているのです」
三郎は二人の顔を見較べて、しばらくの間黙っていた。「ふん。※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]なら※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]でもいい。お主たちが一しょにおって、なんの話をするということを、おれがたしかに聞いておいたぞ」こう言って三郎は出て行った。
その晩は二人が気味悪く思いながら寝た。それからどれだけ寝たかわからない。二人はふと物音を聞きつけて目をさました。今の小屋に来てからは、燈火《ともしび》を置くことが許されている。そのかすかな明りで見れば、枕もとに三郎が立っている。三郎は、つと寄って、両手で二人の手をつかまえる。そして引き立てて戸口を出る。蒼ざめた月を仰ぎながら、二人は目見えのときに通った、広い馬道《めどう》を引かれて行く。階《はし》を三段登る。廊《ほそどの》を通る。廻《めぐ》り廻ってさきの日に見た広間にはいる。そこには大勢の人が黙って並んでいる。三郎は二人を炭火の真っ赤におこった炉の前まで引きずって出る。二人は小屋で引き立てられたときから、ただ「ご免なさいご免なさい」と言っていたが、三郎は黙って引きずって行くので、しまいには二人も黙ってしまった。炉の向い側には茵《しとね》三枚を畳《かさ》ねて敷いて、山椒大夫がすわっている。大夫の赤顔が、座の右左に焚《た》いてある炬火《たてあかし》を照り反して、燃えるようである。三郎は炭火の中から、赤く焼けている火※[#「竹かんむり/助」、第3水準1−89−65]《ひばし》を抜き出す。それを手に持って、しばらく見ている。初め透き通るように赤くなっていた鉄が、次第に黒ずんで来る。そこで三郎は安寿を引き寄せて、火※[#「竹かんむり/助」、第3水準1−89−65]を顔に当てようとする。厨子王はその肘《ひじ》にからみつく。三郎はそれを蹴倒《けたお》して右の膝《ひざ》に敷く。とうとう
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