からうかと云つた。それは定五郎が眞志屋文書に載する所の最後の家督相續者らしく見えるからであつた。しかし更に考ふるに、此定五郎は幾《いくば》くならずして廢《や》められ、天保弘化の間に明了軒がこれに代つてゐて、所謂五郎作改五郎兵衞は明了軒自身であつたかも知れない。
眞志屋の自立してゐた間の菓子店は、既に屡《しば/\》云つたやうに新石町、金澤の店は本石町二丁目西角であつた。
二十九
わたくしは駒込願行寺に増田氏の墓を訪うた。第一高等學校寄宿舍の西、巷《こうぢ》に面した石垣の新に築かれてゐるのが此寺である。露次を曲つて南向の門に入ると、左に大いなる鑄鐵の井欄《せいらん》を見る。井欄の前面に掌大《しやうだい》の凸字《とつじ》を以て金澤と記してある。恐らくは増田氏の盛時のかたみであらう。
墓は門を入つて右に折れて往く塋域《えいゐき》にある。上に佛像を安置した墓の隣に、屋盖形《やねがた》のある石が二基並んで、南に面して立つてゐる。臺石には金澤屋と彫《ゑ》り、墓には正面から向つて左の面に及んで、許多《あまた》の戒名が列記してある。讀んで行く間に、明了軒の諡《おくりな》が系譜には運海
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